若松城(鶴ヶ城)
若松城(鶴ヶ城)は、福島県会津若松市追手町にある城で今から600年ほど前に、芹名直盛が築いたのが始まりといわれています。
地元では一般的に鶴ヶ城といい、それ以外では会津若松城と呼ばれています。しかし文献史上では黒川城とされることもある。
1868年戊辰戦争の際には会津戦争にて会津勢の立て篭もる若松城は1ヶ月に及ぶ激しい攻防戦に耐えて板垣退助勢に、薩摩の援軍の助けをかりても遂に城は落ちなかっため難攻不落の名城として天下にその名を知らしめました。
その城も戊辰戦争の6年後に取り壊されましたが、市民の要望もあり昭和40年に現在の天守閣が再建され、閣内を博物館として貴重な郷土資料を数多く展示しています。国指定史跡若松城跡。
熊本城
日本三名城の一つに数えられる熊本城といえば熊本のシンボルといっても過言ではないと思います。
熊本城は1588年〜1607年掛けて、肥後半国の領主として熊本に本拠を置いた加藤清正によって築かれました。
城郭は周囲9Km(築城当時)、広さ約98万平方メートルで、その中に天守閣が3つ、城門29を持つ豪壮雄大な構えです。
なかでも石垣の上部になるにつれて反り返し(傾斜が急)になっていて簡単には登れないような防御にすぐれた構造になっている「武者返し」の石垣は有名です。
清正流ともいわれた積み方で、加藤清正が携わった城には多く見られます。
城内に入ると熊本の県木である楠の木も目に付きます。
1877年原因不明の出火により天守閣など主要な建物を焼失し、現在の天守閣は昭和1960年熊本市によって再建されたものです。
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